品品喫茶譚

暇さえあれば喫茶店に行く。テーブルの上に古本屋で買った本を広げて、珈琲を飲む。ぼーっと窓の外の風景を眺める。 初めて訪れた街では喫茶店を探し、住み慣れた街に新しい喫茶店を見つけては歓喜する。 喫茶店を中心とした日々の生活記録。

品品喫茶譚 第28回『西院 ブルーマウンテン』

百万遍のカフェコレクションでバジリコスパゲティを食し、古書善行堂によると、私は勢いよく坂を自転車で下っていった。

 

西院に着いたのは夕刻、十六時。夜に知人のライブを観に行くまでの間、喫茶店に入ったり、場合によっては何処か近くの飲み屋で一杯ひっかけてみようかな、そう思った。

私にとって西院の街とは今夜も訪れる予定のライブハウスと駅の間の道に大体集約されていた。今日はそのことがとてももったいないことのように思われたのだ。

うきうきとした足取りで駅を出、かつて京都に越してきたばかりの頃、西院フェスというイベントに出演した際に演奏した鉄板焼き屋を見に行き、そこがもはや違う店になっていたことを確認、折鶴会館や餃子の王将、午後十四時で閉まる古めかしい喫茶店などを横目に歩いたまでは良かったが、当初の予定では黄昏時の一、二時間を、本を読みアイスコーヒーをちゅうちゅう啜ることで過ごそうと思っていた喫茶店が休みであったことを皮切りに、ただ目的もなく西院をひたすら徘徊する者と成り果ててしまった。

飲み屋は大体十七時から、喫茶店は見つからない。まさに黄昏のエアポケット。それならばコンビニで何か購って、公園で飲むのもいいかもしれない。にしても公園の位置が分からない。分からないなら徘徊する者らしくとにかく徘徊していれば、そんなに労することなく公園を見つけることはできるはずだ。しかしまだまだ残暑が厳しい。これは昨日の話です。私はすぐに心が折れた。そして数ある選択肢のうちの一番の悪手。全く何も購わず、何処にも寄らず、これぞ徘徊、ただやみくもに歩くうち、自然と足は嵐電の線路の方へと向っていった。

 

しかし結果的にはこれが正解だったのである。嵐電「西院(さい)」駅。その程近くにブルーマウンテンという喫茶店を発見したのだ。時刻は十六時半。店に入るとママが「十七時半までですけどいいですかあ」と言った。良いに決まっている。アイスコーヒーを注文する。これは京都に限ったことではないけれど、最初に加糖にするか、無糖にするかを聞かれる。いつもなら無糖にすることが多いのだが、今日はなんだか徘徊疲れ(と言っても僅か三十分程度であるが)もあって、「加糖で」と即答。グイっと一口飲むと、喉を液体が通っていく感覚が如実にある。脱水症状寸前だったということもないが、とにかく爽快感に溢れ、復活できた。

店内を眺める余裕も出てくると、カウンターから一人の老人が席を立った。どう見ても井伏鱒二と同じ顔をしている。といっても実際の井伏を見たことはないから、なんか本で見たことのある井伏鱒二にめっちゃ似ている老人がいると思った、ということになる。とにかく老人は井伏鱒二に似ていた。

「ママ、コーヒー美味しかったよ」井伏が言う。

「ん、ありがとうございます!」ママは少し耳が遠いようだった。

「ここの珈琲はUCCかい?」と井伏。

「そうそう。UCCですよ」とママ。

そんなやり取りを聞きながら、アイスコーヒーを啜っていると、続々とお客さんが入ってくる。私が入店したときには井伏しかいなかった店内がにわかに活気づいてきた。

引き寄せてしまった、と思った。喫茶店好きな自分が醸し出す極上の「喫茶店って最高だよねえ」のオーラが、人を引き寄せてしまったのである。もうすぐ閉店時間なのに、ママに忙しい思いをさせてしまって申し訳ないなあと私はしかしほくそ笑んだ。が、恐らくはこういうことだった。この喫茶店嵐電西院駅線路沿いにある、つまり電車が駅に到着したのであろう。降りたお客さんが、この店を見て「少し冷コーでもしばいていこうよ」となるのは当然のことのように思われた。

 

このとき私は彼らとは反対に嵐電に乗ってみようと思った。嵐電に最後に乗ったのはもう七、八年前のことになる。京都に越してきて二年目、数人の知り合いと太秦映画村に行ったのである。思えば楽しい日だった。手裏剣を投げ、ものすごい角度の橋を何度か渡り、劇場で忍者の寸劇みたいなものに大笑いした。雨が結構降っていたけれど本当に楽しかった。

まだ東京に住んでいた頃、一度だけ西院フェスを観に来て、嵐電でのライブを観たこともあった。演奏していたのは、吉田省念と三日月スープ奇妙礼太郎さんだった。どういうシステムだったのかは分からないけれど、途中の駅で坊さんが乗ってきて、観客の誰かが「ぼんさんが乗ってきた!」と爆笑し、それが車内に瞬く間に拡がったのを覚えている。さぞ坊さんは肩身が狭かっただろうと思う。そのとき、坊さんがどこで降り、爆笑の中でどんな顔をしていたのか、全く思い出すことができない。

 

わずか片道二十分ほどの旅だったが、嵐電は私の追憶でいっぱいになった。降りた先の古本屋で二冊古本を購って、西院駅に戻ると、開演にちょうどいい時間となっていた。目当てに観に行ったお二人の演奏は素晴らしかった。夜更けに店を出、終バスに飛び乗ると、私はふらふらと家路についた。