品品喫茶譚

暇さえあれば喫茶店に行く。テーブルの上に古本屋で買った本を広げて、珈琲を飲む。ぼーっと窓の外の風景を眺める。 初めて訪れた街では喫茶店を探し、住み慣れた街に新しい喫茶店を見つけては歓喜する。 喫茶店を中心とした日々の生活記録。

品品喫茶譚 第25回『ルノアール高円寺北口駅前店~阿佐ヶ谷ニューシャドー②』

文学フリマ東京の会場である東京流通センターに向かうため東京モノレールに乗る。すでに周りにはトランクを下げ、着物などを着た文学ものたちで溢れている。車窓からは港に面し林立したタワマンが見える。会場の最寄り駅に近づくにつれ、工場や物流倉庫などが増えてくる。昔、日雇い仕事で早朝に港湾地域に向かった記憶が蘇ってくる。懐かしい、というよりは苦しい記憶である。


会場に着くと、もう沢山のサークルが到着しており、着々と自分たちのブースを設置していた。私たちのブースは会場の右奥だった。長机を共有する隣の方に挨拶し、私の新しいエッセイ集二冊と、一緒に出展するwacaさんの画集、急遽作った文士風はんこくじを並べる。他のサークルのブースのようにきちんとしたポップやスタンドなどがあれば良かったのだが、そういったものを全く用意しておらなかったために、白い紙にマジックを用いて、下手くそな字を書き殴っていく。無骨なヴィレッジヴァンガード、もしくは、長机の耳なし芳一みたいなブースができあがった。

イベントが始まるとすぐに、この日限定のエッセイ集二冊同時購入特別特典であるところの「十四歳暗黒詩集」(私が十四歳の時にものした詩をまとめたもの)をもとめて人が殺到するかと身構えていたが、そうはならなかった。

しかしイベント中、沢山の方がブースを訪れ、早々にwacaさんの画集は完売、私のエッセイ集もかなりの数が旅立っていった。私の描いた文士風絵のはんこくじはその情報量の多さがネックになったのか、それがなんなのかよく分からない人が多かったようだ。机の上に無料で押せるはんこが数種あったのも混乱を助長した要因だったかもしれないが、こちらのはんこはよくみんな押していった。異様にはんこを押すのがうまい人が数人いた。

マスクをしていることもあって、ちょっとした知り合いみたいな人でさえ、私が座っていることに気づかなかったり、手に取った人がのちに「著者ですか」みたいなことを確認してきたりしたので、お経のように張り巡らされた張り紙の一つに「ここにいるのはピンポン本人です」と書くなどした。

全くもってスマートではなかった。

夕刻、無事イベントは終了した。コロナ禍前を含めても歴代二位の人入りだったというから、驚いた。この文章を書いているいまよりも当時はやや感染状況もマシだったはずなので、そういうこともありえたのだろう。

 

夜はゴールデン街にあるバーに向かったが、あいにく目当ての店は休みだった。近くの神社でまあまあの規模の祭りが催されていて、長引く疫病にしびれを切らした、というか、開き直っているのか、たががはずれたような騒ぎ方や振る舞いをしている者が多く、結構怖かった。

 

宿に戻り、久しぶりにとある方に連絡すると、ちょうど仕事が終わって知り合いのバーで飲んでいるとのことだった。

急遽、タクシーでその街へと向かう。タクシーの車窓から見る東京は特に自分と関わりのないような場所であってもなんとなく心が動いてしまう。夜景が、人が、流れていく。私はどきどきしながらそれを眺めていた。


階段を上ると、その人がラーメンを食っていた。シックなバーとラーメンのギャップがなんだか良かった。その人とその人の友達と私で深更まで、ゆっくり話した。レコードを沢山聴いた。その人に会うと、私は腹に改めて力が入るというか、気合いを入れ直そうと思うのである。頑張ろうと思うのである。久しぶりにお会いできて、本当にうれしかった。


少し飲み過ぎてしまって、帰りのタクシーではドライバーさんにことわって座席に仰向けで眠らせてもらった。街のあかりがタクシーの天井に跳ね返ってちらちら光っている。まどろんでいるうちにあっという間に宿に着いた。夜が白々と明け始めていた。


酒を飲み過ぎたにも関わらず、珈琲の一杯も飲まないまま、話が終わってしまった。

次回も飲む話から始まる予定になっている。