品品喫茶譚

暇さえあれば喫茶店に行く。テーブルの上に古本屋で買った本を広げて、珈琲を飲む。ぼーっと窓の外の風景を眺める。 初めて訪れた街では喫茶店を探し、住み慣れた街に新しい喫茶店を見つけては歓喜する。 喫茶店を中心とした日々の生活記録。

品品喫茶譚 第24回『ルノアール高円寺北口駅前店~阿佐ヶ谷ニューシャドー①』

 

去年の初めから毎週土曜日の夜に更新していた文章をテーマ別に二冊のエッセイ集にまとめた。まとめた以上は沢山の方に手に取ってもらいたい。初めに売る場所は五月末に東京で開催される文学フリマにしようと思った。というのも、前年末にコロナ禍に入って久方ぶりに客として訪れた文学フリマがとても楽しかったので、次はぜひ出店したいと思ったのだ。

 

文学フリマの数日前に東京へ向かった。

当日、新幹線は豪雨の為に何度か停車しながらも、牛歩のごとくじりじりと東海道を進み、夕刻にはそれでもちゃんと東京へ着いた。

ホテルに荷物を置いて向かう先は高円寺だった。遅れを取り戻そうと急いだ分、やけに早く着いてしまった件の街で時間を持て余す。コクテイル書房での待ち合わせは十八時、確か近くにはボニーという喫茶店があったはずだ。そこでしばし時間を過ごそうと思った。しかし歩けども歩けどもボニーが見つからない。気づいたら北中通りを抜けてしまっている。引き返して当たりをつけるも、そこには違う店があった。ボニーは二年前に閉店していたのである。結局、いそいそと駅前まで戻り、よく利用しているルノアールに入ることにした。コクテイル書房の前を早足で通過する。まだ待ち合わせまで大分時間があるのに何を張りきっているのだろう、そう思われそうで恥ずかしかった。もちろん、そんなことは誰も思わないし、むしろ誰も私のことなど気にしていない。しかし私の中にはこういったややこしい自意識がずっと居座っており、ああややこしい。

 

ルノアールには高いアイスコーヒーと少し安いアイスコーヒーがある。私はいつも変な貧乏性が出て、少し安い方を選んでしまう。つまり水出しではなくドリップのそれである。それは節約とかそういうことではなくて、メニューを見るといつもなんだか委縮してしまうのである。とはいえ、ドリップの方が安いからまずいのかというと全然そんなことはない。というか、愚鈍な私の舌では味の違いがわからない。

「ドリップで」

せせこましき早足で火照りきった身体にアイスコーヒーを染み込ませる。ストローを馬鹿の態でちゅうちゅうしていると、もうそろそろという意味合いの緑茶が出され、待ち合わせの時間近くになっていた。

 

再び、コクテイル書房に向かう。北中通りの先に丸めがねをかけたその人が見えた。感動、は言い過ぎにしても、少しく感極まるものがあったが、御本人は私が近寄るまで私を私だとは気づかなかった。一方通行なものである。

コクテイル書房に入って小上がりの席に座る。上の階から猫がにゃあにゃあ鳴いている。コロナ禍に入ってからずっと会えなかったわけではないが、高円寺で荻原魚雷さんと会うのはやはり特別な感じがする。積もる話もあるにはあるが、それよりもいつもの感じ、というか大体いつもと同じような話をしながらされながらコクテイル書房でたっぷり飲んだ。その後は黄金ルートであるペリカン時代へ。途中からデザイナーの原瀬さん、画家のwacaさんも加わって、楽しく過ごした。深夜の高円寺の街には往時の喧騒が帰ってきていて、少し怖かった。

 

翌日は三鷹に五月リョウタのライブを観に行った。

ライブハウスに入るなり、奥のほうで五月が馬鹿の態でハチミツを酒に入れてちゅうちゅう飲んでいる。聞くと、間の抜けた顔でのどの調子が悪いという。初めこそ酒に入れて飲んでいたそれをいよいよチューブから直飲みし始めたころに彼の出番がやってきた。自己申告していただけあって、最初こそ声が出ていなかったものの、時間を経るごとに段々落ち着いてきて、いつも通りといった感じになったので安心した。いつも70点以上のパフォーマンスを出す歌手のライブはその安定感ゆえ、安心して観ていられることは言うまでもないが、三振かホームランとまでは言わなくとも、どこか不安定でハラハラさせられるところがある歌手にも妙な魅力があるから、音楽は分からない。

会場でずいぶん前に地元に帰ったと思い込んでいた友人にも久しぶりに会った、よくよく聞くと依然東京に住んでいるらしく、私は何を思い込んでいたのだろう。久しぶりに会えて嬉しかった。三人でへらへらしながら駅まで歩いた。三鷹で飲むという二人と別れてひとり宿へ帰る。明日は文学フリマ